【音楽】尾崎豊さん没後25年 「兄貴」と呼ばれたギタリストが明かす「素顔」

「I LOVE YOU」「卒業」などメッセージ性の強い曲で若者の人気を集めたシンガー・ソングライター尾崎豊さんが26歳で亡くなって、25日で25年がたつ。
肺水腫による突然の死の衝撃で、当初は口をつぐんでいたものの、近年になってぽつりぽつりと尾崎さんの思い出を語り始めている関係者も多い。
ギタリストの江口正祥(まさよし)さん(57)もその一人だ。デビューから約4年半、バックバンドの一員として尾崎さんのコンサートを支えてきた。
スターにのし上がる様子を間近で見た江口さんが語る尾崎豊像は、人なつこさに満ちている。
物憂げな表情で「10代のカリスマ」として知られたイメージとは違う、尾崎さんの素顔について聞いた。【大村健一/統合デジタル取材センター】

◇音楽性がまるで違ったバックバンド 印象深い「兄貴って呼んでいいかな?」

--尾崎さんが亡くなってから25年がたちました。残した曲が今もさまざまなミュージシャンらに歌い継がれるなど支持されています。
江口さん びっくりですよね。音楽界に長くいると、才能があっても売れない人や才能がなくても売れる人など、たくさんのミュージシャンを見ますが、
亡くなってから25年たっても、多くの曲がこれほど愛されているケースは、ほとんどないのではないでしょうか。

--江口さんは1984年3月から、バックバンド「Heart Of Klaxon(ハート・オブ・クラクション)」のギタリストとして、前年12月に18歳でプロデビューしたばかりの尾崎さんを支えました。まず、出会ったきっかけを教えてください。

江口さん 出会ったときの記憶はすっぽりと抜け落ちてしまっているんです。元々バンドを組んでいて、あるイベントで演奏したときのことが評価され、
「うちの新人アーティストのコンサートで演奏してくれないか?」と尾崎くんの所属事務所に声を掛けられたのがきっかけだったみたいです。
メンバーから、この前、聞いて分かった話です。
一緒にリハーサルをする前に、歌も聞いているはずなのですが、「この子はすごい」という印象はなかったですね。
それは、うちのバンドが、聴くのに脳みそをあまり使わない陽気なロックをやっていたことが影響していたかもしれません。
尾崎くんの音楽とは180度、違いました。でも、結果的にそれは良かった。私たちは音が重要で、彼は詞を大事にしていました。
互いに影響を受けて、成長していった時期でした。

--コンサートツアーで全国を回りました。普段の尾崎さんの様子を教えてください。

江口さん 普通ですよ。脳天気な音楽をやっていた感じの私たちと、何も変わらなかったです。
気難しそうなイメージが浸透してしまっていますが、僕らの前ではそういう感じは一切、無かったですね。
ワゴン車を運転して3カ月くらい各地を回る長いツアーを年に何度もしていました。
移動して、演奏して、打ち上げをして、その後もホテルで誰かの部屋に行って話をして……。そんなことを繰り返していました。
ずっと、べったり一緒でしたね。言えない話も、多くあります。
印象に残っているのは、そのころのツアーの途中で「江口さんはうちの兄貴と同い年なんだよな。兄貴って呼んでいいかな?」と言われたことですね。
私は尾崎くんより5歳年上でした。少しずつ仲よくなって打ち解けたときに、先輩と後輩ではなく、「兄ちゃん」として家族のつもりで接してほしいと、話してくれました。
熊本で大雨の中で野外ライブをした時は、ギターが漏電して音がペリペリとした感じになってしまったこともありました。
次の日に、尾崎くんが「あんな渋いギターもいいですね」なんて冗談交じりに言うから、「そんなつもりでああなったんじゃない」と怒ったこともよく覚えています。

(>>2以降につづく)
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